トップページ > 看護師の責務と倫理「看護の歴史的変遷(1)」

看護師の責務と倫理

  • 「看護の歴史的変遷(1)」

訓練を伴う職業としての看護、学問としての看護は、遡ること約1世紀半、英国ピクトリア朝時代に誕生しました。

近代看護の創始者として知られるフローレンス・ナイチンゲールが1859年「看護覚え書き」を著し、翌1860年に聖トマス病院にナイチンゲール看護婦訓練学校を開設しました。

以降、欧米諸国で看護は職業として発展すると同時に、特に米国では学問としても発展し、急速に学士課程教育、さらに大学院修士・博士課程教育が拡がっていきました。

米国の看護師たちは、続々と看護理論を著し、さらに看護研究も盛んに行うようになり、1955年には看護研究専門誌が発刊されました。

米国では、このような「看護とは何か」「看護師は何をする人か」 といった看護の定義・看護独自の機能の探求や教育及び学問の発展が、より高度な看護実践を行うクリニカルナース・スペシャリストやナース・プラクティショナー等の輩出につながってきました。

わが国における看護の職業的発展は、1885年看護教育機関の創設、1915年看護婦規則制定に始まり、第二次世界大戦後、連合国最高司令官総司令部(以下GHQという。)の指導のもと、1948年に保健婦助産婦看護婦法(2001年保健師助産師看護師法へと改称)が制定され、看護行政の基盤が整備されたことに基づきます。

その後、1961年の国民皆保険の実現のほか、1970年代から顕在化してきた疾病構造の変化や医療の高度化、高齢社会の到来等に伴い、看護業務は複雑化・高度化し、看護職の質的量的充実が国家的課題となりました。

それを受け、それまで社会の要請に応えて職業として発展してきた看護にも、高等教育の必要性が認められるようになりました。

1987年、厚生省「看護制度検討委員会」は、看護職の社会的評価や社会的地位の向上を目指すという目標のもとに、大学・大学院の増設等を提言しました。

従来の病院附属専門学校中心の教育だけでは不十分となり、1990年代以降、看護における大学教育が本格化し、修士課程教育、博士課程教育も発展してきました。

1992年には看護師等の人材確保の促進に関する法律が施行され、看護系大学は約150校となり、その1学年定員数は1万人を超え、看護師養成校の1学年定員の合計の2割を占めるようになっています。

参考になさってください。

<続く>

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